昨年の10月に本の原稿を手放してから、もうすぐ1年たつ。今はすっかり過去になったけど、原稿を手直ししながら「どんな形であれ、自分の原稿が本当に本になるとはね……」とか「本当に実現するんだなぁ……」とか思ったものだ。自ら掴んだ答え(思想)を本にして送り出そうと思ってから4年経っていた。
自己崩壊して宇宙人化がはじまってからというもの、紙の本を出版するための道をひらきたいと思っても、わたしには、信頼して相談できる社会関係が残っていなかった。何より、わたしを信頼してくれる社会関係もなかった。そこで、どうしようもなくなって、ある神社にあった願掛け石に願った。それからわずか一年半で、書き直した原稿を、本になる工程に乗せることができた。
すごく早く叶った感じがするけれど、本に関してはもっと以前から複数の願いが重なっていたのだから、早く叶うための下地があったのだと思う。
実は、どうしてもカタチにしたかった書き方(あまり見たことのないフラクタルな書き方)というものを実現するために、わたしをただまっすぐ照り返す良縁とつながることを強く望んでいた。本当に悲願だった。わたしの思想を理解できて、ただまっすぐ照り返すことのできる奇特な人間なんて、この世の中に居るわけがないと思い、独りで様々な努力をしていた。けれど、結局、テクニックではないのだと気づくと同時に万策尽き、途方にくれていた。そんな状態で、ご先祖のお墓とその土地の神社に良縁との出会いを願った。その後約2年あまりで、思いがけず編集者との良縁に恵まれた。
こうしてみると、自分の人生にとって本当に必要なことは、まっすぐな願いと、願いと矛盾しない努力によって、大体2-3年で少しずつ叶ってくるようだ。
「そう考えてみると、わたしには、案外叶っていることがあるのかもしれない……」そう思って、自分の生活を振り返ってみた。
現在、人生何度目かのほぼ完全な切り崩し生活だ。もちろん、こんな生活を願っていたわけではない。一体どういうことなのか……?
宇宙人化に伴い、わたしには、お金も、報酬を伴う仕事も残らなかった。ほとんどの社会関係も切れてしまった。けれど、もっとも身近な家族(夫)だけは奇跡的に残った……。天は、わたしから何もかも奪うつもりはなかったようだ。そして、どうやら、この状態がわたしの望みを叶えた状態なのだと気づいたのだ。
何年も前から、わたしは、ことあるごとに「日本もBasic income制度になればいいのになぁ……」とつぶやいてきた。経済的な問題にぶつかると、必ずと言っていいほど心の中で唱える念仏のようになっていた。どうやら天は、それを叶えてくれたらしい。
現在のわたしの暮らしは、考えてみたら、事実上Basic income制度のなかに暮らしているようなものだ。当然、日本の制度は何もしてくれないが、家族が衣食住の最低ラインを保障してくれているではないか……。「これって、観方を変えたら、家族からの現物支給という形で、Basic incomeが入ってきてるってことだよね……」 つまり、望んだとおりの生活になっているという……(苦笑)
まぁ、これで路頭に迷ったり死んだりするリスクは最低限回避できているわけだから、あとは「自分が自分で居ること」を徹底してやればよろしい……それが天の啓示のようだ。
では、他は……?
実は、今年に入ってからというもの、わたしの頭の上からは、「(いい意味で)考えられないことが起こるよ」「とんでもないことが起こるよ」……という声が繰り返し降ってきている……(← 幻聴ではありません)。一体何?……皆目見当がつかない。著書の評判があがるわけでもない、経済的に潤う気配もない、自分の番組(ラジオ)の人気度が高まるわけでもないし、劇的な出会いをする気配もきかっけも今のところなさそうだ。
「何も起こらないじゃん、いいことなんて……」と思ったところで、はたと気づいてしまった。天の言う「いいこと」は、人間のわたしにとって「いいこと」とは限らないという現実に……。
現在の生活を客観的に眺めると、天の言う「いいこと」は物理的なことではなさそうだ。では何?
一つあるとすれば、4月と5月に旅先であったこと。ちょっと考えられないこと(不思議体験)が起こり、精神世界が変わってしまったのだ。考えてみれば、それを素直に信じたのもどうかと思う。そう。素直に信じたということが「とんでもないこと」だったのだと気づかされるのだ(汗)
あれ以来、わたしはどこにも属さず、誰とも群れない個人として、自然信仰と祈りの暮らしに入ってしまった。(だからと言って、いつもお祈りしているわけではないし、どう見ても信心深いタイプじゃないのだけれど……。)これで、一般的な経済の循環から完全にはずれてしまったし、自分がしていることも、本当に自分がしたいことだけやっている感じになってしまった。もしかしたら、これが「いいこと」なのか?
それで過去をふりかえってみた。すると、一つだけ思い当たることを願っていたことに気づいた。半分は口から出まかせだったとはいえ、人間だった頃から仙人化を望んでいたのだ(汗)
いや、本当に仙人になりたかったわけじゃない。けれど、家族以外の社会関係が痛すぎて居心地が悪かっただけに、何かあるたび、「あぁ、人間やめて仙人になりたい……仙人ならカスミを喰って生きられる……もう人間は嫌だ。仙人は無理でも仙人みたいな者になりたい……」なんて思っていた。まぁ、これも念仏系の想念で、公言していたわけでも目指していたわけでもないのだけれど……。
「……まさか!……」
宇宙人化だけでもどうかと思うのに、出版を機に中途半端な仙人風ババアに移行しつつあるわたし……。この先どうなっていくのだろうか……。
ちなみに、仙人になりたいというネタが頭をもたげたのは、たしか人間末期……。大体5-6年前になる。願いというカタチにまとまったものではないけれど、念仏みたいに〇〇になりたい、〇〇だったらいいのに、などと安易に思わない方がいいよ。無意識的に、習慣的に言っていることは、本当にそうなってくる。怖いね。だから本当の自分をだましたりなんかすると、苦しい人生になるんだなぁ……。自分の本当の願いをまっすぐに聴いて、念仏のように言語化していたら、ちゃんとオリジナルの人生が叶ってくるよね。是非やってみよう。そして、あなたもやってみて!
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